はじめてのコンピュータは、自分のものではありませんでした。
兄の誕生日プレゼントだった
小学生のとき、兄の誕生日プレゼントとして、PC-6001が家にやってきました。兄のものです。でも、いちばん長く触っていたのは、たぶん私でした。
電源を入れると、すぐBASICが立ち上がる。何を書けばいいのか分からないまま、とりあえずキーを叩く。Syntax error。また叩く。当時のコンピュータは、遊ぶ前にまず「書く」必要がありました。
打ち込んで、いじって、作る
そこからの愛読書が、電波新聞社の『マイコンBASICマガジン』。通称ベーマガです。小学校から高校まで、ずっと買っていました。
誌面に印刷されたBASICのプログラムを、ひたすら手で打ち込む。動かない。1文字ずつ照合して、打ち間違いを見つける。動く。うれしい。この繰り返しでした。
そのうち、数字をいじり始めます。自機のスピードを上げる。敵を減らす。残機を99にする。そうやって中身をこじ開けているうちに、プログラムが「読めるもの」になり、やがて簡単なものなら自分でも書けるようになりました。学校の勉強でそこまで熱心になった記憶は、正直ありません。
ベーマガは2003年5月号で休刊しました。1982年の創刊から、20年あまり。あの雑誌でプログラムを覚えた人は、たぶん全国に相当な数いるはずです。
ポケコンで流行った、洞窟のゲーム
大学に入ってからは、生協で買ったポケコンでした。シャープのPC-1490U。手のひらサイズの、あの細長い液晶の機械です。授業の合間に、みんなBASICを打ち込んでいました。
そのとき流行ったのが、洞窟のゲームでした。
といっても、名前はありません。強いて呼ぶなら「スクロールゲーム」。それで通じました。
画面の上下から岩がせり出してくる。キーを押している間だけ機体が上がり、離すと落ちる。操作はそれだけ。岩に当たったら終わり。
だれかが作って、だれかが写して、少しずつ改造されながら、クラスを超えて広まっていきました。プログラムは全部見えているので、みんな中身を知っています。それでも遊んでいました。
三十五年後、AIに頼んでみた
それが、急にやりたくなったのです。
当然、プログラムは残っていません。ポケコンもありません。打ち込んだノートも、どこかへ消えました。それで、AI(Claude)に頼んでみました。上下から岩が出てきて、押している間だけ上がって、離すと落ちる。当たったら終わり——と、覚えているとおりに説明しただけです。
出てきたものは、正直、当時よりずっと良い出来でした。ステージが進むと岩のすきまが狭くなり、スマホでも指一本で遊べて、画面は昔のCRTのような琥珀色。名前がないと不便なので、「ほらあな」と呼ぶことにしました。三十五年越しに、ようやく名前がついたわけです。
それでも、ルールは何ひとつ変わっていません。押している間だけ上がる。離すと落ちる。それだけです。
遊んでみてください。→ ほらあな
指一本で遊べるものだけ
ひとつ作ったら、止まらなくなりました。ブロック崩し、トランプの神経衰弱、カーレース、まるばつ。気がついたら5本になっていて、置き場所が必要になりました。それが、このサイトです。
置くものの基準は、ひとつだけと決めています。指一本で遊べること。両手が空いていなくても、信号待ちでも、レジの列でも、ちょっとだけ遊べるもの。難しくする必要はありません。むしろ、簡単すぎるくらいでいい。
思えば、あの「スクロールゲーム」が流行った理由も、同じだったのだと思います。ルールが一行で説明できて、すぐ始まって、すぐ終わる。三十五年経っても、暇な三十秒の潰し方は、たいして変わっていないのかもしれません。
書いている人:ジュビロ磐田とギラヴァンツ北九州をこよなく愛するサポーター。普段は関西ジュビリスト(kanjubi.jp)とGiravanz.netという応援サイトを運営しています。
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