カレンダーからひと月が消えた日に、1日も飛ばなかった数え方

アイキャッチ|改暦 アプリの説明
アイキャッチ|改暦

Claudeに、相性を占うものを作ってもらいました。二人の誕生日を入れると、四柱推命の「日柱」を出して、五行の関係から相性を見る、あれです。

作ってから、また気になりました。日柱って、そもそも何だろう。

調べていったら、思ってもみないところに行き当たりました。明治のはじめ、日本のカレンダーからひと月ぶんの日付が消えた日の話です。

日柱は、ただの連番でした

四柱推命というと難しそうですが、日柱の正体はびっくりするほど単純でした。

甲子、乙丑、丙寅——と60種類の名前が並んでいて、1日ごとに次へ進む。60日でひと回りして、また甲子に戻る。それだけです。

閏年も関係ありません。月の長さも関係ありません。ただ、1日ずつ数えているだけ。

言ってしまえば、60進法の日めくりカウンターです。だから計算も簡単で、どこか1日の干支さえ分かっていれば、そこから足し引きするだけで何年前でも何年後でも出せます。

明治5年12月2日の翌日は、明治6年1月1日でした

その「足し引き」が、日本の場合はある時期をまたぎます。明治の改暦です。

明治5年11月9日、太政官布告第337号が出ました。太陰暦をやめて太陽暦にする、という布告です。

内容が、なかなか乱暴でした。

  • 明治5年12月2日をもって、旧暦を終わりにする
  • その翌日を、明治6年1月1日とする

つまり、明治5年に12月3日以降は存在しません。カレンダーの上で、ひと月近くがまるごと消えました。

しかも布告から新暦の元日まで、23日しかありません。年末のその時期に「来月から暦が変わります」と言われたわけで、世の中が混乱したと記録されています。

急いだ理由は、月給でした

なぜそこまで急いだのか。大隈重信が後年、こう語っています。

当時、官吏の給料が月給制になったばかりでした。そして旧暦のままだと、明治6年には閏6月があった。閏月のある年は13か月あるので、月給を13回払わなければなりません。

新暦にすれば、閏月は消えて12回で済む。

さらに、です。明治5年12月は2日しかない。だから12月分の月給は、払われませんでした。

結果、その年は11か月分で済んでいます。

国の暦が、給料を2回ぶん浮かせるために変わった。そう読める話が残っています。

日付は飛んだ。でも、日は飛んでいない

さて、ここからが本題です。

日付がこれだけ飛んだのだから、日柱の数えも、どこかで辻褄が合わなくなっているのではないか。そう思って確かめました。

結論から言うと、何も起きていませんでした。

よく考えれば当たり前でした。明治5年12月2日の翌日が明治6年1月1日になったというのは、日付の呼び方が変わっただけです。実際の日は、いつもどおり次の日が来ただけ。

いまのカレンダーに直すと、こうです。

 明治5年12月2日 = 1872-12-31 → 壬子
 明治6年1月1日  = 1873-01-01 → 癸丑

壬子(みずのえね)の次は、癸丑(みずのとうし)。60干支の並びで、ちゃんと隣です。

消えたのは「明治5年12月3日」というラベルだけで、日そのものは1日も飛んでいない。干支は日を数えているので、暦が入れ替わっても影響を受けませんでした。

念のため、別の暦サイトの値とも突き合わせました。

 1899年1月1日 計算 己巳 サイト 己巳
 1900年1月1日 計算 甲戌 サイト 甲戌

ついでに分かったことがあります。このアプリが使っている基準点は1873年1月12日=甲子なのですが、これは私たちが勝手に決めた日ではなく、暦を扱う老舗のサイトが基準として公表している日と同じでした。日本の暦まわりで、わりと広く使われている基準点だったようです。

迷信は捨てられ、連番は残された

調べていて、いちばん面白かったのはここです。

明治の改暦では、暦に載っていた暦注が「迷信」として排除されました。六曜もそのひとつです。いまカレンダーで見かける大安や仏滅は、このとき公式の暦から外されています。外されたあとも需要はあって、旧暦や六曜を載せた非合法の暦が「お化け暦」と呼ばれて出回ったそうです。

ところが、干支は残りました。

国立天文台の暦計算室に、こう書かれています。

明治改暦でも、年や日付を連続的に数えるのに便利なので掲載するよう達が出されています

便利だから、載せろ。

占いの道具として見逃されたのではありません。連番として役に立つから、残された。

同じ暦の中で、片方は迷信として捨てられ、片方は実用として残った。その線引きが「当たるかどうか」ではなく「数えるのに使えるかどうか」だった、というのが、調べていて一番うなりました。

どこまで遡れるかは、分かりませんでした

最後に、確かめきれなかったことを書いておきます。

干支で日を数えるやり方は、殷の時代の甲骨文にすでに出てきます。これは複数の資料にあります。そして「3000年以上、一度も途切れずに今日まで続いている」とも、よく書かれています。

ただ、その裏が取れませんでした。

ウィキペディアにはそう書いてありますが、出典にたどり着けませんでした。暦の専門サイトのほうは、もっと慎重で、基点は「2千年(あるいは2千年以上)前の過去のどこかとしかいいようがありません」と書いています。

専門にやっている人でも、そこまでしか言わない。

なので、この記事でも同じところで止めておきます。確かめられたのは、明治の改暦をまたいで途切れていないことまで。そこから先は、数えたことにしておきます。

前回のバイオリズムは、調べたら出どころが怪しくなっていく話でした。今回は逆で、調べるほどしっかりしていた話です。同じアプリを作っていても、こういう差が出るのが面白いところでした。


二人の日柱を見てみてください。→ 相性
前回の、出どころが怪しかったほうの話。→ バイオリズムの23日周期は、もともと鼻の話だった

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